2016年5月30日月曜日

結局は使う人間次第… (その4)

そんなこんなのカメラ小僧も就職し、写真撮影にうつつを抜かしている暇もなくいつしか四十路も目の前に…
そんな時に出始めたのがデジタルカメラ。
最初にさわったデジカメはカシオのQV-10と云う機種。


このカメラは当時勤めていた会社の記録用カメラで、通常本社総務においてあったが、1年の3分の1くらいは何故か小生の机の上に置いてありました(^_^;)

会社が社員全員にノートパソコンを持たせることになり、まだインターネットが黎明期だったせいもありニフティ・サーブに会議室を作って社員の情報交換の場にしていたので、そこにアップする写真を撮ることがメインのカメラでした。
画素数は25万画素ながら、結構よく写り、フィルムをスキャンする手間を考えたらこれで十分と云うカメラでした。

そうこうする中、各社色々とデジカメを発売し始め、中でもオリンパスは当時フィルムカメラの不調を挽回すべくかなりのヒューマンリソースを割いたのか頭一つ抜きん出た性能で値段を抑えたデジカメを続々と出し始めていました。

で、小生が初めて買ったデジカメがこちら!!


C-900と云うカメラです。
このカメラは多分デジカメ初(?)のズームレンズ搭載カメラで、それまで80万画素くらいが当たり前だったデジカメに130万画素と云う精細撮像素子を載せてきて、大変良く売れたカメラでした。
しかしながら当時はデジカメの高度成長期w すぐに陳腐化し、画素数競争はとどまることを知らず1年も経てば200万画素、300万画素は当たり前の時代に…
良いカメラだったけれど実働1年ほどで無事退役。

次のカメラ、またその次のカメラと毎年のようにオリンパスに献金(上納?)していました(^_^;)

そしていよいよデジカメも一眼レフの時代へ!!
上にも書いた通り、オリンパスはフィルムカメラでオートフォーカス開発につまづき、ついぞトップには立てず、この頃は完全にフィルムカメラに関しては撤退に近い状態でしたが、新たなデジタルカメラで挽回しようと頑張っていました。
ところが今で云うコンデジに力を入れすぎ、一眼レフ開発も後手に回ってしまったのです。
他社(ニコン、キャノン、ミノルタ等)はオートフォーカスで培ったレンズ資産を有効に活かすため、フルサイズ(36mm✕24mm)の撮像素子開発は後手に回しより小さいサイズのAPSサイズのデジタル一眼レフを開発、発売し始めていました。
フルサイズのオートフォーカスレンズもほとんど持っていなかったオリンパスはここぞとばかり「フォーサーズ」と云う新しい規格のデジカメをコダックと一緒に作り、規格をオープン化し他社の参入を促進してイニシアティブを握ろうとしたようです。

そこで発売されたのがオリンパス「E-1」


OMシリーズの成功をデジタルにも!!とばかりに、他社と比べて小型軽量、それでいて高画質を謳い文句にデビューしました。

このカメラも単体で見ると素晴らしい出来でしたが、如何せん市場に出てくるタイミングが悪く、好評価な割に販売が不振…
オリンパスはコンデジが好調だったのでどうしてもコンデジ開発にマンパワーを割かれ、一眼レフ用のレンズがまともに発売されず、仕方がないのでOMシリーズ用のレンズをアダプターを噛ませて使うといったオートフォーカスカメラでありながらマニュアルフォーカスで使うしか無いと云う情けない状況がしばらく続いたのです。
そんな状態ではプロはおろか、ましてや技術が劣るアマチュアは使いません。

かくなる小生も段々とオリンパスのカメラメーカーとしての姿勢に疑問を持ち始めながらも古くからのオリンパス党としてのこだわりに悶々としていたのでした。

(その5に続く)

2016年5月25日水曜日

結局は使う人間次第… (その3)

そんなこんな紆余曲折を経て、初めて自身で購入したカメラがオリンパス「OM-1」



前出のOM-2の兄弟機なんですが、こちらはフルマニュアルのカメラ。
露出もピント合わせも(この当時は一眼レフのオートフォーカスはまだ市販されていませんでしたけれどね…)すべて手動!!
しかもシャッターもすべて機械式制御なので露出が凄くシビア。
OM-2は電子制御シャッターなのでダイアルは倍係数表示のシャッタースピードであるにも
関わらず、その中間の最適スピードで写してくれますが、OM-1ではそれが出来ないため、絞りで1/3とか1/2、2/3絞りを微妙に調整しなくてはならなくなりました。
ネガフィルム(白黒でもカラーでも)などではそこまで神経質にならなくてもフィルムの持つ冗長性(ラチチュード=露出許容範囲の幅)のおかげで大概問題なく撮れるのにリバーサルフィルム(スライド等に使うポジ画像のフィルム、発色再現性がネガフィルムよりイイ!!)では思った通りの写真が撮れない…
今のデジカメと違いその場で撮影の結果が判らない、一度使ったフィルムは再利用できない当時のカメラではこれは大問題。
改めてただシャッターを押すだけのカメラ小僧が一から写真の撮り方を勉強することにw
しかしその御蔭で写真の奥深さを改めて知り、今に続く趣味になり得たのだと思う。

このOM-1で基本的な写真の撮り方を憶え、いよいよ買った次なるカメラが同じくオリンパスの最新機種「OM-4」


オリンパスはOMシリーズをOM-1から始め、OM-2、、OM-1n、OM-2n、OM-10、OM-20、OM-30と出し続け、満を持して出したのがOM-4!!
あれ?OM-3は??
じつはOM-4の方が先に発売されました。
多分フルマニュアル、機械シャッター搭載のOM-3の方が開発が大変だったのだと思います。

OM-4は発売の半年以上前から情報を耳にしていて待ち焦がれていたカメラでした
その最大の魅力はマルチスポット測光と云う機能。
画面中央部の約2%の範囲だけを測光し、露出を決められるのですがそれだけではただのスポット測光であり、別段珍しくもないのだけれどマルチスポット測光は最大8箇所をスポット測光し、その値を加重平均して最適露出値を提示してくれるというものでした。

例えば上のOM-4の写真、どこを測れば最適な露出かというと、被写体が黒いのでとても難しく、下の写真のようにボディの一部を赤丸で示したように測光した場合、


カメラはただ暗いものを撮るのだと判断し、明るく撮ろうと露出を制御し、


この様な写真にしてしまいます。
反対に明るいところで速攻すると、(実際はもっと明るいところを選んだ場合、この写真だったらちょっと大げさな表現になってしまいます…(^_^;))


カメラは明るいものを撮るのだと判断し、暗く撮ろうとして、


この様な暗部がツブレタ写真になってしまいます。
マルチスポット測光では、必要な露出情報を撮影者の意思で選び、それを元にカメラを忠実に従わせると云う写真を撮る面白さが堪能できる機能です。


この当時のオリンパスのカメラは一人の天才的なそして写真を撮ることが大好きな技術者によってとても素晴らしいものでした。

うちの父親もこの様なオリンパスの企業精神が気に入り、オリンパスのカメラを買い続け、小生もそれを引き継いできたのです。






2016年5月24日火曜日

結局は使う人間次第… (その2)

オリンパス・ペンFTを使っていてイイ点はフィルム代が半分で済む点!!!
カメラ自体もレンズも小さくて持ち運びや取り回しが楽な点!!!
なんだけれど、使っているうちに悪い点も… と言うより、メリットがデメリットになることがよく判ってきた。

ハーフサイズとは普通のフィルム36mm✕24mmの画面サイズを半分にして使うことでフィルムを倍に使っちゃおう!! と云うエコなカメラ。
元々は高度成長期のまだ貧しい日本にフィットしたカメラを標榜してオリンパスが若い技術者育成のために作らせたカメラが元になって発展させてきたカメラ。
しかしハーフサイズな悲しさ… フルサイズカメラと同じ大きさに写真を引き延ばすとどうしてもその分画質が劣ってしまう…
友達が撮ったミノルタのカメラや、キャノンのカメラが写した写真より画質が見劣りしてしまう。
また、横方向36mmが半分の18mmになるので通常にカメラを構えると写真は全て縦位置…
横位置の写真を撮るには常にカメラは縦位置で構えなくてはならないので意外と操作性が悪い。
と、そんなこんなの理由をつけて父親が買った新しいカメラ、オリンパスOM-2を借り出すようになっていくのであったw


メーカーのオリンパスもハーフサイズカメラの限界を当然のように認識していて、既にこのOM-2の前にOM-1と云うカメラを発売して好評を得ていました。
OMシリーズはフルサイズの35mmカメラで今までのカメラの三悪と言われていた「重い」「大きい」「音が大きくショックが大きい」を排除し、カメラを重厚長大から短小軽薄に導いたカメラです。
実際に友達のキャノンのカメラと比べると一回り小さく、それでいて小さすぎず、人間工学に基づいたスイッチ、ボタン、ダイヤル配置でとても使いやすいカメラでした。
しかし、ヘビーデューティーが第一のプロカメラマンからはあまり評価は高くなかったようです。
やはり短小軽薄は壊れやすいと云うイメージが先に立ち、まずは「しっかりと画が残る」と云う事が第一のプロには敬遠されたんだと思います。

それでも中学生にとっては最新の電子制御されたカメラらはまさにお宝!!!
毎回父親を拝み倒して写真を撮りまくりましたw

この頃、カメラ、写真付きの中学生、高校生はキャノンが発売した「AE-1」「A-1」と云うカメラにゾッコンでした。
「連射一眼」と云うコピーのCM、「カメラロボット」と云うコピーのCM、今でもそうですがキャノンは販売戦略が上手だった…
実際は各メーカーの中級機以上では当たり前の機能でも、それを初めて知った小僧共は今で云う中二病のようにこぞってキャノンのカメラを買い漁り、「OM-2?、だっさ!!」と云う侮蔑の眼差しを投げかけてくれ、「ふんっ!!! 写真はウデだっ!!!」とまるで天につばを知るかのような発言を小生にさせまくっていたのでした…(-_-;)

(その3に続く)

結局は使う人間次第… (その1)

小生は小学生の頃(8歳のとき)から写真を撮っている。
だからといってそんなに素晴らしい写真を撮れるわけではないが、今ではそれを生業にしています。

最初に手に入れたカメラは「オリンパス・ペンEED」と云うハーフサイズの俗に言うバカ◯ョンカメラ。


子供が使うには小さくて手頃に撮れるカメラということで父親に買ってもらいました。
このカメラ、とても使いやすいのですが2、3ヶ月使わないでいるとシャッターが固着して動かなくなってしまうという曰くつきのカメラで、子供の小遣いでそうしょっちゅうフイルムを買うことが出来るわけではなく、況してや現像、プリント等といえば当時はとても高く(当時の金額で36枚撮りの現像が500円、プリントが一枚40円くらい…)ハーフカメラだとプリントだけで75枚くらいあるのでフイルム代も含めるとすぐに4000円くらいかかってしまうので年にフイルム2本くらいしか使えませんでした。

で、久々にカメラを取り出すとシャッターが切れている音はするけれど写っていない…
こんなカメラもうイラネ!!と結局父親のカメラを借りて写真を撮っていました。

そのカメラが「オリンパス・ペンFT」と云う銘機!!


このカメラはEEDと同じくハーフサイズにも関わらずなんと一眼レフ!!!
しかもロータリーシャッターという他に類を見ない機構で、ストロボのシンクロが500分の1秒でも可能と云う素晴らしいカメラでした。(最も当時の小生にはほとんど関係のないことでしたが…)

このカメラで写真というものについて色々学び、楽しさを知り、勉強しました。
しかし所詮は父親のカメラなので遠慮しつつどこかフラストレーションが溜まる日々…
そのようなときに父親がカメラを買い換えそのままFTを譲り受け、友達と写真クラブに入り、暗室を共同で作り写真にのめり込み始めたのです。

(その2へ続く)


2016年5月23日月曜日

がまだすばい! 熊本 ♥

この度の熊本大地震にて亡くなられた方々、被災された方々、遅ればせながらご冥福をお祈りし、お見舞い申し上げます。

熊本大地震にて知人が被災しました。
熊本の地に魂の拠り所を見出し、それまでの生活を一旦全て白紙に戻して永住に足る土地を見つけ、新たに家を建てて、移り住んで2年…
その間新しい家族(かわいい猫ちゃん)を迎え、多くの友人達を得て新生活を謳歌していました。

しかし、二度に渡る震度7の激震は彼の生活基盤を一変させ、絶望感を味あわせたのです。その知人は家を失いました。
幸い大きな怪我もなく、多くの友人に支えられ彼は避難先を見つけ、再び立ち上がるべく頑張っています。

このような大規模災害に合われた方々は大なり小なり同様な経験をされていることでしょう。
しかし、やはりよく知る人が被災されるとより一層思い入れが強くなります。
明日は我が身かもしれません。自分の身を守ることでさえ精一杯です。
それでも他人事には思えません。
私にできることはたかが知れています。それでも何もしないよりはいいと思い、出来る範囲内で出来ることをしようと思います。
日本中の人たちがおそらく同じような気持ちで少しずつ善意を持ち寄っていることでしょう。
大地震からすでに40日が経ち、日に日にそのインパクトが薄れ、マスコミの報道もかなり少なくなってきました。
しかし、真の復興への道のりはようやく動き出したところです。
すでに5年も経った東日本大震災の復興ですらまだまだ半ばにも達していないのです。

決して風化させてはならない記録であり、記憶として胸に刻み付けようと思います。

がまだすばい! 熊本

2016年5月22日日曜日

人格形成のルーツ?

最近、とある要件で友人宅におじゃました折に樋口清之著、「梅干しと日本刀」と云う本を見かけた。
実なこの本、祥伝社と云う出版社から40年以上前に出版された「NON BOOK」「新書」で、当時のベストセラーになった名著なのです。
続編も2〜3冊出版され、その後再出版もされ、知る人ぞ知る有名な本で40余年過ぎた今でも色褪せない内容を保ち続けています。



小生が小学生の頃に発売された本なのだが、リアルタイムで読んでいる。
当時、少年ジャンプを愛読していた小生は、料理漫画のパイオニア、『包丁人味平』のストーリーの中でこの本の存在を知りました。
料理勝負の中で、料理の「技」くらべに走っていた内容を、料理の本質、「味」に引き戻すエピソードの一環としてこの本が紹介されていて興味を持ったところ、なんと父親がこの本を買ってきて持っていたのです!!!
早速読み終えた父に本を貰って以来、蔵書として何回読み返したことか。
それから幾星霜… 友人宅にあったこの本を見て久々に読みたくなったのだが、我が家の蔵書は関西移住の際、断捨離を兼ねて既に処分済み…

しかし無いと判ると尚更読みたいw
そこでAmazonで調べてみたところ当然のごとく売っていたのですかさずポチッ!!
(断捨離の意義を少し疑い始めました(爆))

そして改めて読み返すと、自分の人格形成の過程においてこの本がかなりのウエイトを占めていることを再発見した次第。

まず、元々日本史が好きだったこともあるがより細かい民俗学や歴史のヒダについて解説されている本書に物事への見方や考え方を影響されている。
そして博識なことに対するあこがれ、知的好奇心を満たすためにはどのようにするのかを教示されたと思う。
(だからといってそれが身についたわけではない…(´Д⊂グスン )

三つ子の魂とまではいかなくても、思春期のような物事に影響を受けやすい時期に座右の書と呼んで差し支えのない書物に出会うのはそれ自体が人生の結果につながらなくても精神面の育成、人格面の育成に多大な影響を及ぼすものだとこの歳になって改めて感じた次第です。

人生の峠を遥かに過ぎ、「人生下り坂サイコー」とはしゃいではいるけれど、それでも順当に考えればまだまだ数十年、この世知辛い世の中を泳ぎ渡らなければならない…
その中で先達の知恵にお世話になり、また自分の得た知恵を何かしらの形で残すことがこの世に生まれた意義なのかな? と筋肉痛で意識まで麻痺しながらもぼんやり考え得る今宵でした。

2016年5月13日金曜日

蘭学医?いや、「永野」??!

鏡の中の自分が鬱陶しい
江戸時代の蘭学医(例えば緒方洪庵) のような髪型になってきた…
実は昨年の6月に散髪して以来、一年弱髪の毛を切っていない。
今までの人生で髪を長く伸ばしたことがほとんどないので田舎暮らしを始めるのにあたって、よくいる「作務衣に髪を後ろで束ねたオッサンのようなスタイルにしてみようかな?」と漠然と考え髪の毛を伸ばし始めた。
それでもかなり短く切った後だったので去年の夏はなんとか凌ぎ切った… ものの、秋が深まるに連れて伸び始めた髪の毛がとても鬱陶しくなってきて余程床屋に行こうかと何度も思ったのだが、長髪に憧れる(笑)気持ちに、我慢して伸ばし続けた。
しかし、年が明けていよいよ限界!! となった時、NHKで放送された「ヘアドネイション」の特集番組を視て気持ちが変わった。
この番組は関西ローカルの特集として放送されたのだが、その後再編集、及び再取材を行って、『にっぽん紀行「髪がつなぐ物語~大阪 梅田~」』と云うドキュメンタリー番組として全国放送されたので御覧になった方も大勢いると思う。

「無毛症や抗癌剤の副作用で髪の毛を失った子供たちの為に髪の毛を寄付し、ヘアウイッグを作ってあげよう。」

と云う活動をしているヘアサロンとNPO団体、そして善意の提供者たちへの取材を特集したドキュメンタリーです。

無駄に(?)伸ばした髪の毛をただ切って捨てるよりはこんな髪の毛でも幾ばくか世のため、人のために役立てるのなら!!と思い直すのには十分のインパクトが有りました

その後何度も髪の毛を伸ばすことにくじそうになる度にこの番組を改めて見直し、心を奮い立たせています。(かなり大袈裟ですが…)

実際にドネイションするためには30cm以上の長さが必要で、しかも一つのウイッグを作るのに30人分の髪の毛が必要だそうです。

髪の毛は男女の性別、色、年齢は関係なく規定の長さがあれば誰のものでも大丈夫なのだそうです。
通常の男性サラリーマンや対人関係の職業の人は中々長髪には出来ませんが、幸い小生は自営の自由業なのでその辺りは制限がありません。
折角18cmくらいまで伸びてきた髪の毛、おおよそあと一年我慢すれば晴れて寄付することが出来るでしょう。

しかし、このウザさはまだしも見た目は…
蘭学医ならまだしも最近は芸人の「永野」の様になってきたw

取り敢えず縛り上げ纏められるようになるまでもう一息!!!

がんばんべぇ〜

参考サイト
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1934/2110179/